疲れたー

 

疲れているとゲームが止まらなくなる(これやばい)

 

逆にゲームがなかなか歯止めが効かなくなっている状態だと、ストレス溜まってる可能性・・・。

 

でも、問題はゲームじゃストレス解消にならないってこと。

 

ってかゲームはドーパミン(期待のホルモン)に作用するものだから、厳密にはリラックスしているとか、メンタルを前向きにするのとはちょっと分類が違う感じかな。

 

 

 

今日はなんか寝ちゃったなー。昼寝2時間しちゃった。昨日、一昨日とちょっと体に負担かけちゃったのかな?と思ってた。実際朝起きた段階で絶好調の状態の5〜6割くらいの体調だった(意識してモニタリングしないと、無意識にいつも通りと思ってミスが多くて自己否定に繋がる危険もある)。

 

日課の運動をしていたらバーピー2セットで一旦ギブしてしまった。※普段なら6セットとか1日トータルで10セット以上やってたりするのに。・・・この時点ですでに体の不調を実感してくる。(1、寝起き。2、運動。)

 

10時から人と会う約束が・・・。話が頭に入らん。上滑りしてく・・・。相手の話し方が微妙っていうのもあったけれど、それと別に自分の隠しようもない不調をさらに実感。(3)

 

とりま、昼になりました。もう100パーいつもの調子ではない。とりあえず、野菜買いに行って、帰ってきて、昼食13時。ごちそうさま14時。・・・あ、これ限界。もう無理・・・。腹に物が入ったせいか消化に入る体はさらに倦怠感が増す。「あ、これどうせ起きててももう今日やるタスクロクに集中できないな・・・」→寝る。

 

本来20分くらいが昼寝はベストだと知っているが(※最低20〜30分以内でないと眠りが深まり起きれなくなる)、全然20分でセットしても起きれる自信がなかった。ので、寝ました(潔い!)

 

で、起きたら1530。だいぶ寝ちゃった、普段の1日に設定したタスクを大体こなし終えるタイミング。でももう、今日はなんか無理じゃね?・・・と。いうことで、ゲームに興じる(※もちろん最低限度やることはやってますよ!昼食べた食器の洗いとか、洗濯とか、ベットマットを替えるとか・・・)が、そうしてそうして遊興していると気づけば19時。「あれれ〜」。ゲーム以外の諸作業で30分はかかったはず(間別のことで1時間半消費したが・・・)。差し引き、約1時間半ゲームしてました。

 

っえ・・・。体感的には全然。ゲームでもいつもの効率はなく普段だったら30分くらいで得られている満足感分くらい。且つ、それを1時間半(約三倍)で希釈したような薄い満足(?)感。・・・何もいうまい。(いつもの満足感すげーとか)

 

とかく、普段の濃密な時間(満足感)、言い換えれば「質」の高い時間を知っているせいかどこか不完全燃焼・・・。裏を返せばそれだけ時間の使い方を突き詰めるのは価値があることなんだなぁ、、、と思うのでした。

 

しかしだよ、・・・。高質な時間の重要性は分かったとて、ではぶっちゃけ体調がすぐれない日はどう過ごせばいいんだってばよ!?・・・。

 

とはいえ、今回の情報から得られるものもある。分析してみよう。

 

1、気づけばゲーム(自然とやる気を引き出す媒体)に依存している。(”遊ぶ”ではなく、これは”中毒”や”依存”の性質だと思う)。

 

→これは、ストレスが溜まったからポテチを食べるみたいなやばい感じでは?

 

2、普段と時間感覚(時間をどれくらい有効に使えているか。充実感といってもいいかも?)の差異に相当意識しないと気がつけない。

 

要するに普段に比べて、無駄な時間、効率的ではない時間の使い方をしていることに気がつかないで、自分の目的とは無関係の対象に没頭(?)してしまっているということ。

 

本の知識だがメンタル的な疲労回復の観点からも本来は自分の目的に沿ったアクティブな時間の使い方をする方がストレス解消にも有効だという研究がある。(『不老長寿メソッド』より)

 

だから、目的と無関係の内容になんとなく(惰性?)で取り組んでいる時点でストレス解消や目的達成に有意義な行動をしているというわけではない。むしろ、癖と言い換えた方がいいかもしれない。

 

癖、もしくは習慣かもしれない。細かくは端折るが要は自分の普段の生活で染み付いた行動をしているということかもしれない。

 

だから、1日に夕食後にはソファにごろ寝してテレビを2時間見るとかって習慣の人なら、疲れている時でも同じことするってこと。むしろ、自分の確保できた時間で新しい勉強や活動をしようと考えていても気がつけばテレビなんかでよくわからない時間を使ってしまっているようなもの・・・。

 

 

自制心が不足(もしくは不調)だからゲームしてしまうのか?

 

普段から組み込まれている習慣だからいつの間にかゲームをしてしまうのか?

 

どうなんだろう・・・。ゲームの性質自体は要は興奮作用(ドーパミンなどの神経伝達物質)の効果だよな・・・。普段からの習慣は「条件付け」で、〇〇の行動を行うと自分に報酬がある、、、と、脳が感じている(こっちも期待・・・という意味でドーパミンの作用なのか?)から、それを脳が学習していて、その行動を繰り返して(依存して)しまう。

 

 

、、、そういえば『快感回路』を読んでいて、依存と習慣って実は同じ物なのかもしれないと思ったり。例えば薬物とかでより強い興奮作用が得られるっていって薬に依存するのは、毎日運動して体を動かして気持ちのいい感覚(アドレナリンが出るのと)で気づいたら運動が習慣になっているのと理屈としては変わりない。

 

脳内で分泌される神経物質やその神経物質(報酬)が得られる作業の違いがあるだけで、「快い」と感じている行動が脳に刻まれて、繰り返したいって欲求になって、いつの間にか毎日やってしまっている(習慣化している)ってことではないのか?

 

どんな物質でも、脳が報酬と認識させる(作用が)あれば、習慣、条件反射は仕込めるってことだろうか?

 

パブロフの犬」がある。餌に別の情報(音など)をセットにすることで、セットにしている情報だけでも、餌をもらえると犬の脳が反応して唾液を口内で分泌させる。

 

「学習性無力感」というのもある。これは「パブロフの犬」とは逆のベクトルで、簡単にいえば回避できない痛み(不快な刺激)を与え続けることで、いつしか痛みを回避できる環境に切り替わっても、痛みに対して回避行動を取らなくなる、という性質のものだ。これは水を瓶の中に満たしてネズミを落とした時の実験に似ている。同系統と思える理由として、ネズミの場合は過去に溺れている最中一度人為的に救助されたネズミは、再度水を入れた瓶に入れられても、必死にもがいた時間が、一度も救助された経験がないネズミの必死にもがいた平均時間の3倍にもなったという。

 

これを考察している科学者の話は、3倍努力したネズミ(過去に救助された経験があるネズミ)は脳内でドーパミン(期待のホルモン)が分泌されていたから3倍努力できたのではないかという。・・・。

 

・・・「学習性無力感」の実験の犬に戻るが、つまり脱出できた(痛みを回避できた)という経験が与えられない犬は、いつしか痛みが回避できる環境に切り替わっても、痛みから逃れようとする行動を起こさなくなる。言い換えれば、「痛みは回避できないのだ」と学習する。「無力感」を「学習」するのだ。

 

この「学習」も意味は日常会話で使われる学習と意味はなんら変わらない。反復して脳が記憶するというものだ。「学習性無力感」の場合は痛みによる不快感(おそらくコルチゾール※ストレスを感じさせるホルモン)を軸に条件反射を組み込んだのか?

 

ただ、快感(報酬)を原動力に生き物が行動すると考えるとネガティブに作用するもので条件付けが成立するとは違和感がある。マイナスのベクトルでもしこの快感(報酬)の理屈を通そうとするなら、最悪からよりマシ(最も不快から やや不快・・・緩和?)というような形になるような気がする。

 

しかし、ネガティブな状態を受け入れることでそれ以上により致命的な要素を防止することができるという話なら受け入れることもできる。

 

例えば、不快感が常態化して如何様にも避け得ないなら、避けるための努力はそれだけで、カロリーの消費に他ならない。労力、時間の浪費にもなる。人間であれば精神的な期待(できるかもしれないと考えるほど)があるほど落胆にもつながる。(精神的なストレスになる)※これは動物も同じだとはきくが。

 

わかりやすくいうと、雨粒を全て交わす努力などしても絶対に無理だから、結局多少重くても、片手が塞がる面倒臭さがあっても傘を使うのと同じような理屈ではないだろうか?