思考を深めようとしたら、いきなり深堀はできない(ザイオンス効果ー想起のし易さのせい?)

思考整理

 

日々の慎ましやかな暮らし方

 

思考を深めようとしたら、いきなり深堀はできない、

 

まずは至近なもの、例えば、日常でよく目にするもの・触れるもの、今日見聞きした情報・知識、最近あった印象的な経験

 

そこから(記憶を遡って?)、その時のことを今一度振り返ってみる

 

つまりはそこから分析を始める。そして、、、、いずれはそれが、その分析対象の根元へと徐々に近づいていき、何か自分が解しうる真理(本当の意味で有用かは置いといて)に到達するのだと思う。

 

例えば、前に読んだ日本の敗戦に対する客観的な分析の本では、これまであまりそう分析されてこなかった日本の敗戦原因について実際に現場で見聞きした事実・体験から、その根本、本質的な敗着要因はどこにあったのかを考察していた。

 

同著者(実際には代筆に近いが)曰く、単位が国であろうと、組織であろうと、そうした根源的な要因は末端からでも分析は可能で、かつその本のちょっとした概要にもなるのかもしれないが、敗着の原因は主にその組織的な構造、、、、人で言えばそれは精神的な原因に帰結するのだと。

 

言われ、いくつかの身近な例で(主に過去や現在のグループ・組織で)の活動を想起して、そこで経験した、失敗例とその後に幸運にも発見することができた原因を材料に、当事者であった自分(組織の論理・構造に準じる行動をとっていた)が、それを把握する前にその失敗の原因を推定できただろうか?とシミュレーションしてみた。

 

要するに、その本の著者の言を参考に、そういった視点を持ち今一度、過去のまだ何らかの事業に取り組む以前の段階(あるいは取り組んでいる途中)でその後の形勢を予見出来ただろうかを思考してみた。

 

結論、確かに完全な偶然に左右されるような性質のものもないわけではないが、それでも、ある程度の決着の推定は不可能ではなかったように思えた。つまり、例え何らかの決着において、その中心から決して近くはない位置でそれを観測(経験)しただけでも、ある程度のその結果に関わる要因については真っ当な分析ができるのではないだろうかと思う。

 

で、あるなら、例え、些細な好奇心やほんの少しの違和感でも、それについて思考・考察(分析)してみることは相応の意味を得られる行為と言えるのだと自分は思う。

 

※もちろんあくまでそれはそういった事柄において、ある程度適切・有用な情報や知識があるのが前提にもなるだろうが。故に、何より小さなものから、その根源的でかつ、より精度の高い真実にまで到達するためにはそれを的確に分析する知識(場合によっては技法)と信憑性の高い情報ソースを必要とする場合もある。

 

そう考えるとより価値の高い真実を得るために必要であるが故に、秘匿性も高い知識・情報というものもあるのかも知れない。

 

、、、まぁ、そうは言っても人は自らが自己意思のもとで労力を払って得た情報にこそ価値を見出す。知らず知らず、例え地べたに大金になるような情報が転がっていたとしても(あるいはそう喧伝される情報があったとしても)それの真価を理解することはできない。よく言うアインシュタインの「真実とは、経験というテストの結果、得られるものである。」という言葉通り、自らが試行したことがそれを真実だと人には認識させるのに必要なのだろう。

 

と、脱線もいいところだが、詰まるところ、本当に思考をするのであれば、それはどんな題材、どのような瑣末に思える出来事からでも、それがどういった原因の結果であるのかなどを考える上では十分に適確な思考の対象になり得ると自分は思う。

 

、、、

 

、、、

 

では、そうした前提(仮)を踏まえて、この理論をどういったことに有用に活かせるかを考えてようと思う。

 

例えば、普段の生活の中でもこの理論は使える。凡ゆる事象を対象とできるので分析する事象には事欠かないはずだ。その中でも、人は特に個々の感性ごとに色々な視点から物を把握する、つまり例え複数人で同じものを見ようとも、それぞれが注目するポイント、抱く印象は決して必ず同一にはならない。故に、それぞれが同じ情報を受け取ったとて、そこから独自の視点で着眼点を見出し、それを対象に分析することは可能だろう。そしてそれは他者との差別化に他ならないとも思う。みるポイントは種々違い、そしてその自分が注目した1つの部分を分析し、その要因・背景を探るアプローチとなるからだ。そういったところで独創性は担保されるのではないだろうか?

 

そして、差別化(独創的な視点)をさらに促進するためには、人の習性(バイアス)を把握しそれにハマらない視点を獲得するのもいいと思う。例えば、そういった統計的に多くの人間が陥りやすい偏向を把握し、メタ的な視点で多くの人間とは別の着眼点からアイディアを生み出せれば、自身の差別化された人的価値をアピールすることにもつながるのではないだろうか?

 

ま、結局はそれは一言でまとめてしまえば『試行錯誤』と言う行為以上に他ならないが、ポイントは、着眼点は人によって殆ど千差万別であるという事実と思考というのはそういった些細な事柄にも活用できる、と言う点で、それが自己を他者より一歩前に出た独創的な人間にしてくれる可能性があるのではないだろうかということです。