就活って面倒くさいと思いませんか?

就活の面接をあくびが出るくらい楽に終わらせる方法

結論→相手にこの人は自分と同じだと思わせると選んで採用されやすい


みなさんお店で物やサービスを買うとき、「これカッコイイから欲しい」「あれがあればもっと快適に過ごせるそう」「あんな美味しそうなもの一度食べてみたい!」と思って買い物をしませんか?

あなたを採用してもらうために面接官の人にも同じように訴えかけてみてはどうでしょうか?


訴えかける2要点


類似性があるように見せる=感情で(納得させて)売り込む 

印象に残る内容=論理で相手の決断を正当化させる



類似性とは「この人は自分とは似ている」と思うこと
感覚とは 人間が商品やサービスを選ぶときと同じ理由 人は感覚に訴求されるものを選ぶ=言い換えると、それを買う(選ぶ)ことで具体的にどんな形でメリット(課題の解決・新たな価値)がもたらされるか、それをイメージして、イメージがしやすいほど決断しやすくなる。

で、なんで類似性が=感覚への訴求になるのか?

A、人間は自分を他者より高く評価する(自己奉仕バイアス)、自分と似ている人間=自分自身を評価しているという感覚=自分と似ている人間を低く評価することは自分を低く評価することと同じように感じてしまう(無意識)、なので、基本的に人は自分と似ている人間に対して評価が高くなる。

そして、相手が類似している(と思う)ということは、普段の自分と似た感覚・価値観・アイデンティティなどを有していると考える=自分のパターンと同じだと考えるとイメージしやすくなる(仕事へのスタンスや会社での立ち振る舞い、将来性、友好関係の持ち方など)。イメージしやすい、つまり、感覚的に納得しやすい。

よって、類似している(類似点が多ければ多いほど)感覚に訴求できるようになり、選んでもらいやすくなる。









印象に残る内容とは「アピールポイントは3点で・・・」「自分の強みは〇〇で・・・」 決断を正当化するための論理の材料 簡単に言うと「選んだ理由は?」と尋ねられたときに「この人(もの・サービス)は〇〇という強み(利点)があって有益だと判断したためです」の〇〇を与えることを言う。

論理とは 先に書いてしまったが、要するに人間は『感覚』で先に決めて『論理』で後付け(正当化)を行う。


もしかすると、面接後 【再選考】などを企業から申し出てくるパターンでは『感覚』的には十分でも、『論理』の面で正当化が難しかった、と面接担当者が感じたから、発生するパターンなのかもしれない。


論理は論理で十分(少なくとも、採用担当が他の人から「なぜこの人を採用したの?」と聞かれた時に答えに窮しない程度には)印象に残るPRをしなくてはいけない、ということになるのかもしれない。


この辺はYouTubeで切り抜きしている ひろゆき さんの言なども参考に考えました

→概要:キラキラネームの人は就職が大変かも・・・(名前相談に対する動画)
ー要点抜粋:太郎さんとピカチュウさんが面接に来て、もしピカチュウさんを採用して後で問題があったら、採用担当者は責められる(「なんで名前からして変なの選んだんだよ?」と周囲から言われる可能性がある)から、ピカチュウさんは採用されにくくなるのでは?・・・という指摘。


要するに、いくら印象がよくても、決断を正当化する論理はある程度必要になる。言い換えると、論理はある種保険に近いのかもしれない。採用担当者にちゃんと言い訳をさせてあげられる程度には印象に残るロジックもセットにしてあげないといけない、ということか・・・?






余談:印象について

印象に残るものが、記憶に残る。記憶に残るものが、会話の時に口に出やすくなる(何かを説明するとき、理由を紙に書き出すとき、頭の中で筋道を立てて考えようとするとき)

印象に残ったものはいわば材料で、それを組みあげて人は記憶(経験)を作る。

だから、記憶に留めておいてもらいたいのなら印象を残すことは重要で、それは裏を返せば印象に残らない内容は、いくら良いことを言っていたとしても憶えていてはもらえない(と思われる)。なので、人間の頭に印象を残す心理的テクニックが重要なのだと思う。

質疑応答関係

・ストーリー化
・ポイントを3点にする(3は人間の認知能力的に丁度憶えやすいとか・・・)
・喋るスピード(突っ込まれそうなところは早く、良く聞いてもらいたいところはゆっくり・・・。これをする利点は、人は早くしゃべられると認知的に追いつかず批判しにくく、逆にゆっくり話すことで相対的に(認知しやすさで)印象に残りやすい(と思われる))

全体の印象関係
・ハロー効果(わかりやすい強み※業界と無関係でも良い。例えば、英語がしゃべれる、認知度の高い特技を持っている、珍しい経験がある。感心してされるものがベストだが、他人と差別化できるだけでも印象には残ると思う)
・初頭効果(第一印象、例えば服装、表情、外見(※は個人差あるけど)、仕草、声など)
・権威(〇〇社の△△部門での成績が1番だった。(※会社全体の成績ではなく1部範囲の中での事実)
※自分以外のものでも、例えば、〇〇という有名企業で働いていたことがある(※実際の業務と関係はない)、〇〇業界で△年継続勤務してきた(※実務の内容とは無関係))





就活をマーケティングの理論に絡めて考えてみました (参考『シュガーマンマーケティング30の法則』 ジョセフ・シュガーマン

面白いことを気づいたので報告します

 

「自分の話が冗長だなぁ」と悩んでいる人にはもしかしたら役に立つ気づきかもしれません。」

 

人が長話をしてしまうタイミングは色々だと思うので、あくまで私が気づいた1例です。

 

結論から言うと、人は話が冗長になってしまうときは「自分の至らないところを無意識に庇おうとしてしまっている時」かもしれません。

 

簡単に言うと、人が言葉を必要以上に多く語る時は、より詳しく内容を伝えたい時です。ただ、自分が伝えたいと思う内容と、相手が実際に何を知りたいと思って質問したのかは違う場合があります。その時、相手の視点から見たら「話が長い」と思われてしまうのだと思います。

 

以下、私の話です。

 

 

 私は就職活動の時の面接が苦手です。理由は、質疑応答になかなか簡潔に答えられないためです。話のリズムが悪く、就職エージェント相手の練習でもなかなか好印象を持ってもらえている感じがしません。

 

「なぜ、自分は話しているうちに要点がぼやけてしまうのだろう?」と悩みました。

 

それで、分析してみて気づいたのですが、私がスパッと質問に答えられない内容はズバリ自分が不安に思っていることを聞かれた時でした。

 

私の場合は、「どういった仕事(経験)をしてきたのか?」「過去の経歴は?」などの内容です。

 

こういう質問をされた時「自分の経験がそのまま受け入れられるのだろうか?」と不安が無自覚に出てきて、言い訳じみた回答が増えてしまいます。

 

これは単純に自信がないからしどろもどろになっている、だけではなく、より考えてみると、「自分の経験を悪く受け取られたくない」と言う心理が働いていたのだと思います。

 

私は自己肯定感がとても低い人間で、自分の過去の経験の中でも、うまくいかなかった方の内容にばかり注意が言ってしまいます(おそらくネガティブバイアスだと思います。)それで悪かったところや自信がないところばかり思い出してしまうので、ついつい弁明するように口数が増えてしまったり話が逸れてしまっているのだと気が付きました。

 

無論、面接のような場面で、余分な言葉を重ねることは話の中核を不明瞭にしたり、かえって何が言いたかったのかを分かり辛くしてしまうデメリットがあります。私が面接がうまくできない理由の一つはおそらくそうした話の焦点をぼやかしてしまう癖があるからなのかもしれません。

 

他人は自分が思っているよりも自分が意識している欠点に意外と気づいていないこともあります。

 

なので、特に面接で経歴を話す時などは、自分が自信がなかったり、欠点だと思っていることと、それが他人にはどう見えているかのギャップには注意しておくべきだと思いました。

 

そして、相手から見たら「どうでも良い」と感じている内容をやたら長々弁解しているように見えて、話の内容よりも、話自体が退屈だと感じさせてしまう可能性もあるのかもしれないと感じました。

 

 

 

人間はもともとポジティブよりネガティブに敏感にできています(プロスペクト理論より)。なので、おそらく過去の記憶を想起するときも、よっぽど楽観的な人でもなければ自分の嫌な面も必ず思い出すと思います。そのとき私のように過度にネガティブに注意を向けていると、気がつかないうちに自己弁護に走って話が逸れてしまっていることもあるのかもしれません。

 

 

 

綺麗な言葉と汚い言葉、どっちを使うのがいいのか?

 

綺麗、上品、丁寧、模範的な、あるいは常識的な言葉使い、角が立たない。迂遠で抽象的で、仄めかすような、グレーに近い、けれど、ある種政治的、反感を買いにくい、足のつきにくい、言葉使い、

 

逆に汚い言葉使いは、俗物的で、下品かもしれなくて、他人を批判や中傷しているかのような言い回しで、主観的、感情的な言い回しで、自分の「〜思った」というような言い回しで、データや数字的ではなく、皮肉やブラックだったり、シニカルだったり、聞き手を選ぶ、受け止め方を考えさせられる。

 

前者なら、常識的な平和で普通の人とは誰とでも大過なく無難に会話できる。後者なら、聞き手を選び(好む聞き手かそうでないか)、理解するのに頭を使い、皮肉を会する頭の良さが必要で、批判やある種キッパリとした否定などをちゃんと1個の意見として切り離して理解することができる必要がある。

 

だから、誰でもわかる無難な話し方か、お互いがしっかり考えなが会話しないと成り立たない話し方かどちらがいいのか?

 

 人は量より質だと思う。量があることに意味はない。世の中は友人が多くても、自分が認識している友人は実は相手が自分に対しても同じように考えてくれている確率は50%くらいだという、、、データもあったような、、、。輪が増えると、関係コストがかかるし、一人一人を認識するのは最大150人が限界というのがダンパー係数という研究でも言われている。親身に付き合える人間のマックスには初めから上限が定められている。しかも、相手が増えるほど個々の把握は困難になり、場合によっては薄い関係や、恐ろしくも、フレネミーという関係しているだけで自分が消耗してしまう関係すらまいつの間にか抱えてしまっている可能性もある。※他にも、サイコパス、ナルシスト、マキャベリストなども。

 

 結局それは通うからっていろんな店のポイントカードをのべつ幕なしに財布に入れて、どのカードがどこにいったのかわからなくなって、終いには無くしてしまったり、忘れてしまうようなものではないだろうか?

 

 「大は小を兼ねる」なんて諺も、それは、「それを管理する能力が自分にあって、あくまで手にを得る範疇のものに限る」としっかり条件を付け足しておいて欲しいところな気がする。

 

 不要なものは本当に必要なものを埋もれさせる。ガラクタばかりに目が行けば自分が本当にしたいことのための大切な時間がどうでもいいことで失われる。大して興味のないことにかかずらわっているうちに本当に大切なことは何かを見失ってしまう。(ゴミを見すぎて、大切なものの価値を見失ってしまう)

 

 ある、ということがただポジティブな意味合いしか持たないわけではないということみたいだ。これは、考えると、要は人間の処理能力=つまり、「身の丈」が要諦なのだろう。「豚に真珠」というやつか?「過ぎたるは及ばざるが如し」と言っておいた方が安心だろう。

 

 で、根っこに戻ると、結論。言葉使い→人間関係を左右する?→仮に)左右しても、自分にとって価値がある人間関係の関係性はどちらか?量?質?

 

 とりあえず質でいいんでないの?結局、気を使って喋るのも、大変だし、自分がそれなりに皮肉屋的な自覚があるのなら、素のそういった性格を出しても不快に捉えないタイプと付き合えた方が自分を理解してくれる友人を作れるという意味でも自分にとっては得だろう?

 

 社会が面倒くさい。バッシング好きと、それに簡単に煽られて勝手に空気を醸成してしまう人たち。

 

 自分としてはそういった老害タイプは比較的高齢層がほとんどなのではないだろうか?と考えているのだが、現実は若くても柔軟性がない人間も遺憾ながらなかなかいる。

 

 面倒くさい。何が面倒って?奴らは言って聞かないからだ。なぜそうなる?理解に苦しむ。理解が及びもつかないから苦慮する。つまり、面倒なのだ。(扱いにくい)

 

 「愚者は賢者を動かせる」を地でいく奴ら。相手にしたくないのは彼らは自分が愚者だとは考えない。だから向上しない。成長しないだから、面倒くさい。時間の無駄なのだ。

 

 人は自分が優れている、頭がいい、と考えていると学ぶ必要も成長する必要も感じない。すでに優れているからw、、、そして、絶望的な現実は日本はそれをどんどん生み出す構造がそこかしこに根付いている。くだらない慣習や因習から抜け出せないのは、その精神性がまだ近代化に追い付けていない証拠だ。

 

 戦争時代から変わっていない、、、などとも評されることも実はある日本人のメンタルだが、それ以前に鎖国されていた時のままですらある可能性もある。

 

 日本人の精神的未熟さ、倫理観の曖昧さは、根幹はおそらく島国という環境が原因なのだと考える。理由としては、1、島国で10数世紀近く殆ど海外との交流がない状態で過ごしてきた。2、全ての日本人がほぼ1民族で構成されていること。※沖縄、アイヌの人たちの存在はもちろん知っているが割合的に一旦外しておく。

 

理由をそれぞれ簡単に噛み砕いていうと、1は長い間狭い土地の内側だけで繁栄してきたことは、外部との交流のない狭い土地で好まれる性格性の人間が有利になり、それ以外の性格特製の人が淘汰されていくから。2は単民族は価値観の衝突を経験しない要因に一役買っていると考えられる。それは、どこかの未開の部族を思い浮かべてもらうと理解しやすいかもしれない内容で、つまり、極めて振り切った言い方をすれば、村のしきたりが全ての世界である。1民族、その民族が描く世界観は常に1つだけであり、印象が噛み合わないかもしれないが、性質はイスラム教やキリスト教と同じようなもの、共通の信仰が土壌になっていることだ。

 

これは残念なことに特効薬がない。人間関係の問題ではないからだ。文化の問題ですらない。土台の話なのだ。アナロジーを使って表現するなら、牧場で飼われている牛のようなもの、ということもできると思う。なんたって、安全な内側で何世代も長らく暮らしてきたのだ。それが、突然「野生の生存競争に適応しろ」と言われても、自分の野生は遥か何世代も前に忘れてしまい、元に戻るにも次世代か、次々世代に託すくらいの時間が必要だ。

 

もっと残念なのが人間の心はその生命サイクルの冗長さと、全く嘆かわしいことに同じくらいの柔軟さしか発揮されていない。つまり、20歳で馬鹿だったら、50歳になっても70歳になっても馬鹿が治ることはない、、、ことが多い事だ。

 

人間は単純だなぁw。結局生活習慣、行動習慣が固定されているから起こる。思考パターンもずっとアップデートされないから、時代に取り残されていく。「努力最小限の法則」で考えると、思考、もしくは過ごし慣れた日常習慣をアップデートするのは認知的に疲れる行為だ。だから、今で十分と考えている人なら、変化なんてしなくていいのかもしれない。※日本は愚かにもそう言った方向を向いて政治が優遇しているから恐ろしい。気持ちが悪い「弱者救済」という大義名分を掲げた美徳意識が原因なのか?

 

 

 

 

 

好奇心(推進力?)×集約=利益になるだろうか?

俯瞰してみると自分が何をしているのかとどういう特性があるのかわかる?

 

・好奇心旺盛

 

→横道に逸れてることがある。ちょっと気になったから調べてみる、・・・気がついたら深入りして、あれこれ比較したり、その差異がどうしてあるのか分析したりしている。下手したらそれが誕生した由来はそもそも何にあったのかなどまで遡ってしまう。

 

 

しかし、楽しいのかもしれない。気がつけば1時間とか平気で調べていたりする。

 

過去勉強した知識が役立つのも面白い。

 

例えば、比較するときにどういう原理が裏にあるのだろうかと考えると、なるほど『競争原理』か!とか、この商品は『コモディティ化』していると考えられるから、どこで購入しても概ね均一な品質のものが手に入るな。なら、価格重視で選ぶか・・・。など。

 

逆の原理も同時に想像してしまう。『競争原理』なら、この業界でまだ競争になっていない分野はあるのだろうか?とか、『コモディティ化』しにくい価値のある商品を生み出すにはどうすればいいのだろうか・・・(思索してみたり)。

 

また、調べてるうちに裏側で働いている性質に気がつくと、では今度はこの性質が同じように働いている分野や業界は他にないのだろうか?(視点を得て、自分の認識のなかに新しい気づきがないか思索してしまう)。・・・そして、類似が発見できた時、またそれに気づいたことで自分は何かメリットが得られるだろうか?と検証してみたくなり、あれこれ調べたり、パターンを想像してみたりし始める。

 

 

 

△難点

 

・やってたらキリがない(ネット検索機能と合間って無限に調べられる)ー時間や集中力を下手したら空になるまで費やしてしまう。

・本題から逸れる(タスクなど)ー効率的なタスクの消化を妨げる。

 

☆対策

 

・ある程度方向性を持たせる。

 

→確かに好奇心からのあらゆる事柄への派生は様々なものに関心を持つという意味では悪くもないと思うのだが、自分の限りがある精神的リソースやタスク消化の為の効率的な時間の使い方などを考えると、ある程度考える方に方向性をつけた方がいいと思う。

 

例えば、自分の得になる可能性がある事柄のみ深掘りして、知的好奇心があるものの、今の段階で深掘りするのには時間や労力が足りないと感じる事柄に関しては概要だけを攫っておく程度にしてみる・・・とか。

 

 

メモ、際限がないこと。タスクが1つの目的を達成するために設定されているものなら、知識の探求は関連するものが無数にあるから、どれだけ深掘りしても終わりがない。

 

要するに何が問題かと言えば、現実との兼ね合いができなくなる場合について、思索をすることの価値と現実(実務的な)タスクを消化する意味は異なるベクトルだと思う。だから、何かの興味から調べた知識が何処かで役立つ場合もあるが、全く関連しないこともある。(それでも、知っているというだけで自分にとってはメリットではあると思うのだがー例えば、理解はストレスを軽減する効果があるなど)

 

とは言っても、濫読などが実際知性を磨く上ではいいとも聞くから、極端に言えばどんな益体もない事柄でも、自分への投資にはなるのではないかとは思う。

 

 

・・・何を基準に考えを制約する?(要は自分の「関心」と「現実」の折り合いをコントロールする方法を考える)

 

 

時間で区切る。今こうして書いているように、ある程度で区切りを作る。一度クールダウンして、自分が何に夢中になっていたのかを俯瞰してみてみる。

 

熱に浮かされて調べまくっていると、冷静になってみればそこまでわざわざ調べる必要がないかもしれないことまで深掘りしてしまっていることがある。(アドレナリン?興奮を覚まして、自分に活用できる情報とそうでない情報を整理してみる。)

 

見境なく知識を頭に詰め込んでも、残念ながら人間の脳は1回見ただけで全部記憶できるわけでもない。記憶できる容量にも個人差がある。有用な情報か精査して取捨選択するのが合理的判断なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

今回書いたきっかけ

 

エピソード→(自分が今回これを書いたきっかけは通販サイト市場が複数あり同一商品でも価格設定が異なることに興味を持ったためだ。当然、みんな常識的に知っている通り通販会社はいくつもある。だが、自分は今まで、欲しいものがあればネットで検索して上位に出てきた通販サイトー大抵はAmazonを使っていたが、今日たまたま欲しい本があってAmazonで検索したら1700円と高かったので、もう少し安くかえる方法はないかと思い、他の通販サイトで検索してみることを思いつき、やってみた結果、Yahooショッピングで同じ商品が100円安く売っていることを知り、そっちで注文をしてみた。この時、商品の品質にさして差があるわけでもないのに欲しい商品を100円安く買えた理由はなんなのだろう?と気になって『通販サイト』を調べ始めたのが発端だ。)

 

 

思いつき

💡本に限って言えば新品と中古の価値に大きな差はない(本の本質的な価値は装丁の綺麗さや傷やしみなどではなく、中にある知識だと思う)

 

古本通販サイト(そんなもんあるのか?)や中古通販サイトを把握しておくといいかもしれない。

 

(主に、自分が高い頻度で注文をするジャンルがあるのであれば、そのジャンルに特化した利用先を複数把握しておくことは、価値があるものをより安く手に入れられる可能性が高まるかもしれない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疲れたー

 

疲れているとゲームが止まらなくなる(これやばい)

 

逆にゲームがなかなか歯止めが効かなくなっている状態だと、ストレス溜まってる可能性・・・。

 

でも、問題はゲームじゃストレス解消にならないってこと。

 

ってかゲームはドーパミン(期待のホルモン)に作用するものだから、厳密にはリラックスしているとか、メンタルを前向きにするのとはちょっと分類が違う感じかな。

 

 

 

今日はなんか寝ちゃったなー。昼寝2時間しちゃった。昨日、一昨日とちょっと体に負担かけちゃったのかな?と思ってた。実際朝起きた段階で絶好調の状態の5〜6割くらいの体調だった(意識してモニタリングしないと、無意識にいつも通りと思ってミスが多くて自己否定に繋がる危険もある)。

 

日課の運動をしていたらバーピー2セットで一旦ギブしてしまった。※普段なら6セットとか1日トータルで10セット以上やってたりするのに。・・・この時点ですでに体の不調を実感してくる。(1、寝起き。2、運動。)

 

10時から人と会う約束が・・・。話が頭に入らん。上滑りしてく・・・。相手の話し方が微妙っていうのもあったけれど、それと別に自分の隠しようもない不調をさらに実感。(3)

 

とりま、昼になりました。もう100パーいつもの調子ではない。とりあえず、野菜買いに行って、帰ってきて、昼食13時。ごちそうさま14時。・・・あ、これ限界。もう無理・・・。腹に物が入ったせいか消化に入る体はさらに倦怠感が増す。「あ、これどうせ起きててももう今日やるタスクロクに集中できないな・・・」→寝る。

 

本来20分くらいが昼寝はベストだと知っているが(※最低20〜30分以内でないと眠りが深まり起きれなくなる)、全然20分でセットしても起きれる自信がなかった。ので、寝ました(潔い!)

 

で、起きたら1530。だいぶ寝ちゃった、普段の1日に設定したタスクを大体こなし終えるタイミング。でももう、今日はなんか無理じゃね?・・・と。いうことで、ゲームに興じる(※もちろん最低限度やることはやってますよ!昼食べた食器の洗いとか、洗濯とか、ベットマットを替えるとか・・・)が、そうしてそうして遊興していると気づけば19時。「あれれ〜」。ゲーム以外の諸作業で30分はかかったはず(間別のことで1時間半消費したが・・・)。差し引き、約1時間半ゲームしてました。

 

っえ・・・。体感的には全然。ゲームでもいつもの効率はなく普段だったら30分くらいで得られている満足感分くらい。且つ、それを1時間半(約三倍)で希釈したような薄い満足(?)感。・・・何もいうまい。(いつもの満足感すげーとか)

 

とかく、普段の濃密な時間(満足感)、言い換えれば「質」の高い時間を知っているせいかどこか不完全燃焼・・・。裏を返せばそれだけ時間の使い方を突き詰めるのは価値があることなんだなぁ、、、と思うのでした。

 

しかしだよ、・・・。高質な時間の重要性は分かったとて、ではぶっちゃけ体調がすぐれない日はどう過ごせばいいんだってばよ!?・・・。

 

とはいえ、今回の情報から得られるものもある。分析してみよう。

 

1、気づけばゲーム(自然とやる気を引き出す媒体)に依存している。(”遊ぶ”ではなく、これは”中毒”や”依存”の性質だと思う)。

 

→これは、ストレスが溜まったからポテチを食べるみたいなやばい感じでは?

 

2、普段と時間感覚(時間をどれくらい有効に使えているか。充実感といってもいいかも?)の差異に相当意識しないと気がつけない。

 

要するに普段に比べて、無駄な時間、効率的ではない時間の使い方をしていることに気がつかないで、自分の目的とは無関係の対象に没頭(?)してしまっているということ。

 

本の知識だがメンタル的な疲労回復の観点からも本来は自分の目的に沿ったアクティブな時間の使い方をする方がストレス解消にも有効だという研究がある。(『不老長寿メソッド』より)

 

だから、目的と無関係の内容になんとなく(惰性?)で取り組んでいる時点でストレス解消や目的達成に有意義な行動をしているというわけではない。むしろ、癖と言い換えた方がいいかもしれない。

 

癖、もしくは習慣かもしれない。細かくは端折るが要は自分の普段の生活で染み付いた行動をしているということかもしれない。

 

だから、1日に夕食後にはソファにごろ寝してテレビを2時間見るとかって習慣の人なら、疲れている時でも同じことするってこと。むしろ、自分の確保できた時間で新しい勉強や活動をしようと考えていても気がつけばテレビなんかでよくわからない時間を使ってしまっているようなもの・・・。

 

 

自制心が不足(もしくは不調)だからゲームしてしまうのか?

 

普段から組み込まれている習慣だからいつの間にかゲームをしてしまうのか?

 

どうなんだろう・・・。ゲームの性質自体は要は興奮作用(ドーパミンなどの神経伝達物質)の効果だよな・・・。普段からの習慣は「条件付け」で、〇〇の行動を行うと自分に報酬がある、、、と、脳が感じている(こっちも期待・・・という意味でドーパミンの作用なのか?)から、それを脳が学習していて、その行動を繰り返して(依存して)しまう。

 

 

、、、そういえば『快感回路』を読んでいて、依存と習慣って実は同じ物なのかもしれないと思ったり。例えば薬物とかでより強い興奮作用が得られるっていって薬に依存するのは、毎日運動して体を動かして気持ちのいい感覚(アドレナリンが出るのと)で気づいたら運動が習慣になっているのと理屈としては変わりない。

 

脳内で分泌される神経物質やその神経物質(報酬)が得られる作業の違いがあるだけで、「快い」と感じている行動が脳に刻まれて、繰り返したいって欲求になって、いつの間にか毎日やってしまっている(習慣化している)ってことではないのか?

 

どんな物質でも、脳が報酬と認識させる(作用が)あれば、習慣、条件反射は仕込めるってことだろうか?

 

パブロフの犬」がある。餌に別の情報(音など)をセットにすることで、セットにしている情報だけでも、餌をもらえると犬の脳が反応して唾液を口内で分泌させる。

 

「学習性無力感」というのもある。これは「パブロフの犬」とは逆のベクトルで、簡単にいえば回避できない痛み(不快な刺激)を与え続けることで、いつしか痛みを回避できる環境に切り替わっても、痛みに対して回避行動を取らなくなる、という性質のものだ。これは水を瓶の中に満たしてネズミを落とした時の実験に似ている。同系統と思える理由として、ネズミの場合は過去に溺れている最中一度人為的に救助されたネズミは、再度水を入れた瓶に入れられても、必死にもがいた時間が、一度も救助された経験がないネズミの必死にもがいた平均時間の3倍にもなったという。

 

これを考察している科学者の話は、3倍努力したネズミ(過去に救助された経験があるネズミ)は脳内でドーパミン(期待のホルモン)が分泌されていたから3倍努力できたのではないかという。・・・。

 

・・・「学習性無力感」の実験の犬に戻るが、つまり脱出できた(痛みを回避できた)という経験が与えられない犬は、いつしか痛みが回避できる環境に切り替わっても、痛みから逃れようとする行動を起こさなくなる。言い換えれば、「痛みは回避できないのだ」と学習する。「無力感」を「学習」するのだ。

 

この「学習」も意味は日常会話で使われる学習と意味はなんら変わらない。反復して脳が記憶するというものだ。「学習性無力感」の場合は痛みによる不快感(おそらくコルチゾール※ストレスを感じさせるホルモン)を軸に条件反射を組み込んだのか?

 

ただ、快感(報酬)を原動力に生き物が行動すると考えるとネガティブに作用するもので条件付けが成立するとは違和感がある。マイナスのベクトルでもしこの快感(報酬)の理屈を通そうとするなら、最悪からよりマシ(最も不快から やや不快・・・緩和?)というような形になるような気がする。

 

しかし、ネガティブな状態を受け入れることでそれ以上により致命的な要素を防止することができるという話なら受け入れることもできる。

 

例えば、不快感が常態化して如何様にも避け得ないなら、避けるための努力はそれだけで、カロリーの消費に他ならない。労力、時間の浪費にもなる。人間であれば精神的な期待(できるかもしれないと考えるほど)があるほど落胆にもつながる。(精神的なストレスになる)※これは動物も同じだとはきくが。

 

わかりやすくいうと、雨粒を全て交わす努力などしても絶対に無理だから、結局多少重くても、片手が塞がる面倒臭さがあっても傘を使うのと同じような理屈ではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

なんで古本屋で簡単に本を買ってしまうのか?・・・なんて、ただのケーススタディです。

チラチラ読んだ本

 

『快感回路』ー神経科学的に人間に快楽が起こる原理について書いている本

 

専門用語多すぎ

 

「理」をもとに「筋道」立って説明されているから専門用語を理解していなくても情報を整理すれば何を言っているのかは分かるが具体例や要約をちゃんと拾っていかないと、何が何だかわからなくなる=中身をすっ飛ばしてしまう。

 

理屈として、とりあえず、一旦文脈を通して、後で何回か振り返った方が結果的に理解しやすいかも、、、。

 

難点は、初めから興味があるところを直球で理解できず周回するように遠回りしなければいけない点。ある意味、根拠がしっかりしている本は単語一つ一つの定義もしっかりしていて、だからこそその定義を理解しないと読み解けないから苦労するのかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『パレオダイエットの教科書』ー一生続けられるダイエット&アンチエイジングについての理論及び根拠と再現性の高い具体的な方法が提示されている本

 

『めくじら社会の人間関係』ー『縦社会の人間関係』の亜種みたいな本。簡単に言うと日本の狂気的な炎上性質(主にテレビ界隈など)についての内容を取り上げている本(今日古本屋で100円で買った)

 

 

めくじら社会の人間関係・・・

 

感想

 

→倫理の話っぽい雰囲気の本

 

 

なんで買ったのか?

 

→「世間」とか呼び方は色々あるけど目の上のたんこぶだからぶっちゃけ、どうにかなるならどうにかしたい(なってほしい)だって、馬鹿で非効率的でいちいち個人の人権を蔑ろにしてくるからほんとに関わりたくない。(もう、日本出たほうが早いんだよね、うん、答えは出てる。頑張ろ・・・w)

 

 

内容的には定期投稿していた内容を集約したタイプの本、時事ネタ多し(と思う)、狭苦しさ=「世間」で、時事ネタを解説?評論?している。

 

 

帯に描かれた「窮屈な世間を楽々と渡る技術!!」との触れ込みはあるが、今のところ具体的な方法論、革新的な理論は見つけていない。

 

著者、来歴→〇〇大学とかなんとか。海外大学の客員研究員。

 

 

改めて、なんで買ったのか?・・・

 

多分タイトル買い、目次買い、見たまんまなんとなく中身(著者の主張や何を伝えたいのか)がわかって、簡単に読めると思ったからかもしれない。

 

自分の関心のあるタイトルを扱っていて+週刊誌のような雑誌的な切り口で関心を引かれる目次があったから買った。雑誌を買うのと同じような感覚(娯楽に近いのかも)

 

 

 

 

 

 

 

 

疑問への「回答」ではなく「意見」をくれる人たち(嫌になってくる・・・w)

何を書こうと思ったっけ?

 

昨日夜寝る前考えてたこと

 

  • 連想癖がマインドシャッフルになっている?※マインドシャッフル→入眠を助ける心理的効果がある方法
  • 喉の粘つき改善(寝るときに痰のように喉奥で絡んで不快だったから)1、歯ブラシなどで舌苔の奥まで掃除2、糖質制限※口内が粘着くのは糖類を摂ってるからとかなんとか・・・
  • 入眠効率の向上&1日を振り返って復習する&アイディア出し(寝る前の頭空っぽの時に意外と良いこと思いつく、ような・・・)→エクスプレっシブライティング(紙切れに10〜20分かけてその時思っていることを書き出す※自分の感情などを書き出し頭の中をスッキリさせる&可視化して客観的に振り返れる=パターン化して学習→メンタルトレーニングにもなる?)

 

 

あと、10/26に思ったこと

 

「世の中評論家が多すぎる」

 

理由→2ちゃんねる(今はもう運営されているのか知らないが)にまともに議論などする気も無いのにとりあえず言いたいことだけ書き込みたいという人間の心理。

 

最終的に自分が結果を引き受けるわけでも無いのに他人のやることにいちいち意見しないと気が済まない奴(ただ黙々と自分のことをしていればいいくせにわざわざ「あなたの為」的お節介の皮を被った自分の価値観を押し付けないと気が済まない人種ー本当にそういった人「種」(大勢単位で)・・・いるんだろうか・・・?やや絶望(汗))

 

どっかのまとめサイトやYahooの知恵袋などに質問書いても、何が聞いてるのか察しもせず、「貴方の疑問に答えてあげましょう」を装い、聞いていることの答えではなく、ただ自分の意見しか書かない人。

 

→例「なぜ〜なのでしょうか?」→「〜については確かにそういった疑問もあるかもしれません。でも、そもそもそれをいったら〇〇はどうですか?、△△は?理屈の通っていない部分は他にも多々あります。そう考えると〜だけに疑問を抱く必要はないと私は思います。確かに気になる方もいるとは思いますが・・・」。

 

 って、まず聞いていることに対して答えろよ?「知ってる?」→「知ってるよ!」 or 「知らないよ」 だろ!そもそもの疑問を抱くべき是非なんかは聞いてないわ!

 

結局、「答え知らないけど、私の価値観ではそんなこと考えるのはナンセンス」って言いたいだけだろ・・・。(はぁ、、、)

 

知らないし、考えたこともないし、考えるつもりもないんだったら口出さないでや・・・ってなってしまう。

 

 

 

評論家ぶった奴の特徴(wikiより)

()内は自分で勝手に考えました

 

  • 口だけで実行しない奴
  • オーナーシップの欠如(自分ごとであるという主体性を欠いている)
  • 責任感の欠如(結果やそれが後に及ぼす影響に責任を持たない)
  • 傍観者的な姿勢(他人事として自分は見ているだけスタンス)

 

関係ないけど、興味が出たので『「みんなの意見」は案外正しい』と『群集心理』を買ってみました。※本です。